INTERVIEW

SDGsとテクノロジーの融合で、世界を変える。


対談

作家

小松 成美

(株)SDGs technology 取締役(GFAグループ 代表)

片田 朋希


PROFILE

片田 朋希(かただ ともき)

(株)SDGs technology 取締役(GFAグループ 代表)

78年広島県生まれ。02年東洋大法卒。07年インヴァスト証券(株)、09年(株)EMCOMホールディングス、11年(株)企業再生投資、13年(株)Nextop.Asia、16年(株)MJ代表取締役、17年(合)IGK業務執行役員、19年GFA(株)代表取締役(現任)、20年アトリエブックアンドベッド(株)取締役(現任)、20年(株)CAMELOT取締役(現任)、22年(株)SDGs technology取締役。

小松 成美(こまつ なるみ)

作家、(株)SDGs technology 取締役

神奈川県横浜市生まれ。広告代理店、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。
生涯を賭けて情熱を注ぐ「使命ある仕事」と信じ、1990年より本格的な執筆活動を開始する。
主な作品に、『アストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女』『中田語録』『中田英寿 鼓動』『中田英寿 誇り』『イチロー・オン・イチロー』『和を継ぐものたち』『トップアスリート』『勘三郎、荒ぶる』『YOSHIKI/佳樹』『横綱白鵬 試練の山を越えてはるかなる頂へ』『全身女優 森光子』『仁左衛門恋し』『熱狂宣言』『五郎丸日記』『それってキセキ GReeeeNの物語』『虹色のチョーク』『M 愛すべき人がいて』などがある。
現在、執筆活動をはじめ、テレビ番組でのコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。近年は、SDGsを多様な角度から見つめ、その取材に心血を注いでいる。


娘との会話をきっかけに、日本の未来を考えるように。

小松 片田さんはこれまでに、証券、企業再生、FXシステム開発、ファイナンシャルアドバイザリーなどの職を経て、2019年にGFA株式会社(以下、GFA)の代表取締役に就任されました。GFAも、M&Aのコンサルティングや企業・不動産への投融資といった事業を主とされて、まさに資本主義の自由競争において、勝つことを強いる闘いの中にずっと身を置かれていたわけですよね。それが一転、その対極とも言えるSDGsを事業とした、株式会社SDGs technology(以下、SDGs technology)を立ち上げたわけですが、そのきっかけを教えていただけますか。

片田 以前からCSRやESGへの配慮などが、企業の持続的成長や中長期的収益につながるものとして、株主や投資家の間では重視される傾向にある中で、2015年に国連サミットでSDGsが採択されました。そういう時代性の中で、事業において社会に貢献するということを意識し始めた部分はあります。ただ私の場合、大きなきっかけとなったのは、子供が生まれたことだったんですよね(笑)。

小松 金融業界で昼夜を問わず働いていた片田さんが独立し、企業のCEOになってさらに野心を燃やしながら、一方で家族を持ちお父さんになった。娘さんを育てる父親としての立場から、ビジネスだけでなく、地球環境や人類の行方に視野が広がったということですか。それはご自身にとって、とても意味のある大きな転換点でしたね。

片田 そうです。私がGFAの社長になった時、娘がちょうど4歳になった頃で。親子の会話も成り立ってきて、いろいろな話をしているうちに、この子は将来どうなっているのかなとか、どういう仕事に就くのかなって思うようになり、そこから自分の子供が大人になった時に、日本ってどうなっているのかを考えるようになりました。今の時代を創っている僕らは、いろいろな事を次の世代に繋がなければいけない。ならば次の世代に、より良く繋げる社会であればいいなと。

小松 昭和という時代に先進国と呼ばれるようになった日本は“今、実感できる豊かさ”を手に入れようと企業も働き手も必死でした。片田さんが社会に出た平成時代、日本はGDPでアメリカに継ぐ大国となり、ひたすらに豊かさ追い求めました。お金や物、飽食など、どこまでも欲求は高まり、ある意味SDGsの考えとは対極にある社会だったように思います。成長や成功が幸福の形で、平等など二の次だった。けれど、父親になった片田さんは、娘さんを育みながら、自分のいなくなった未来へも思いを馳せるようになるのですね。きっと、世界の国々で生まれ育つ子どもたちの幸福も、想像したことでしょう。その心に、国連が発信したSDGsの理念が届く。企業家である片田さんにしかできないことがあると思う、素晴らしい機会でしたね。

片田 2000年以降、焼畑農業的に根こそぎ刈り取って、稼げるだけ稼ぐ利益追求型の社会がグローバルスタンダードになったと思うんです。それ自体を悪いとは思いませんし、今と比べて幸せな人が多いのは、多分当時の方だと思います。でも子供が生まれて、無理なく続けていけるような社会になればいいと考えるようになると、その思いもやり方も持続可能なものでないと、引き継いでいけるものにはならないんですよね。焼畑農業的なやり方では無理なんです。

小松 その通りだと思います。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、2015年9月の国連サミットで採択されたものです。国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標なのですが、重要なのは「持続可能な開発目標」それぞれがゴールを迎える、というところです。ゴール(Goals:ゴールズ)こそが重要で、理念を謳うばかりの活動ではならない、という意志を感じます。
持続可能な開発、社会づくりを事業として成し遂げる、ということは、マラソンのような持久力、胆力が必要ですね。資本主義の中で一部の人が富を得るためには、瞬発力とある種の射幸性が必須だと思えますが、少し前の時代に短距離走者的思考であった片田社長がマラソンランナーへとシフトした現在、精神性に何か変化はありましたか。

片田 人に優しくなりましたね(笑)。人に興味を持てるようになりました。それまでは自分に余裕がないので、人のことは目に入らなかったけれども、マインドがリセットされて、周りの方達のこともよく見えるようになりましたし、よく考えられるようになりました。

小松 優しさという言葉は、とかく曖昧な気持ちの表現と捉えられがちですが、SDGsの根源は、人の優しさ、自分以外の人を想う心にあると思います。娘さんを思う優しさが、未来を築くすべての子どもたちへの優しさに広がっていくなんて、本当に素敵です。そして、その優しさを実現するためのプランも片田さんは持っている。ビジネスが目標の解決手段になるという発想こそ、何より現実的です。

片田 まさにそうだと思います。僕はお金を稼ぐことに関しては得意なので、だとしたらSDGsという世界を変えられるいい考え方を、ビジネスベースでちゃんと収益が出るようにできればいいと思ったのが起業のスタートですね。

テクノロジーの革新によって、見えてくる未来がある。

小松 片田さんが設立したSDGs technologyは、SDGsと人類が紡ぎ出したテクノロジーを掛け合わせることで、SDGs17の目標、さらにそこに紐も付く169のターゲットの解決に貢献するため、企業や行政に具体的な提案をし、ともに取り組んでいく会社ですね。

片田 はい。わかりやすく言うと、みなさんが働きやすくて過ごしやすい社会づくりを目指している会社ですね。
私は、世の中は需要と供給だと思っています。例えば今日本で使われていない薬や世界で主流とされない薬でも、南アフリカでは飛ぶように売れているように、こちらでは全く価値のないものでも、それを必要とする人や国がある。世の中かように多様性があるので、そこであまり商売として欲を出さず、共に幸せになれるような思考やシステムに変えていければいいと思っています。

小松 社名に「technology(テクノロジー)」とつけたことが大きなメッセージになっています。

片田 昔できなかったことが、技術の革新によって今はできるようになりました。昔なら手紙かFAXを送ることしかできなかったのが、今は地球の裏側でも瞬時に動画が見られるようになった。テクノロジーの進歩によって、今まで出来なかったこと、格差があったものが埋まってきているので、それをフルに活用できる環境を整えることで、SDGsの活動に貢献できればいいという想いからです。

小松 私自身、テクノロジーがSDGsを実現するための重要な要素だと常々思っていました。17の目標に付帯する169のターゲットを丁寧に読んでいくと、科学技術が、世界へ公平に行き届けば解決のゴールを迎えられるのに、と思う項目がいくつもあります。例えば、「4.質の高い教育をみんなに(すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する)」の6番目に〈2030年までに、全ての若者及び大多数(男女ともに)の成人が、読み書き能力及び基本的計算能力を身に付けられるようにする。〉というものがあります。あらゆる国の人々が、自分のタブレットを持ち、インターネットという地球規模のネットワークを駆使してオンライン教育が受けられれば、飛躍的なスピードで目標に近づくことができますよね。また、「6.安全な水とトイレを世界中に(すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する)の1番目には〈2030年までに、全ての人々の、安全で安価な飲料水の普遍的かつ衡平なアクセスを達成する。〉があり、日本の世界をリードする浄水の技術が、大きな貢献をするに違いありません。
日本のような生活環境、インフラを持ち得た国は、もちろんそれを提供する国になるべきです。日本のテクノロジーで助けられる人や命が多くあることを、取材を通じて実感しています。SDGs technologyのような企業が、そうした仕組みを作り、企業側の利益にもつなげていけば、助けを求める人々、手を差し伸べる企業、そして間を取り持ったSDGs technologyの「三方良し」になりますよね。

片田 世界は広いので、場所と時間軸が違いますよね。日本で当たり前のことができていない国や地域との時間差と距離差を、今ならテクノロジーで縮めることができる。日本はそれがやれる環境にありますから、実現が可能であるのならばやるべきだと思っています。

小松 私自身、素晴らしいボランティア活動に共感し時には参加しながらも、少し前から感じていたことは、限界があるなぁ、ということでした。東日本大震災や熊本地震の時にもボランティアとして現地に入り、募金もしましたが、自分の生活レベル以上のことができませんし、何より、継続が難しい。再び被災地を訪ねると「風化させないで欲しい、まだ被災地は復興できていない」と、現地の方々の声を聞き、自分の無力さに泣きそうになります。活動を継続するためには、そこに正しい循環が生まれることが理想です。被災した地域や市民のために参画した企業がきちんとした利益を得られれば、未来に繫がる事業になるのですから。ボランティア=単発的、続かない、のギャップを様々なテクノロジーが埋められるとしたら、企業にとっても好機です。
片田さんが設立した会社は、企業名として、象徴的にSDGsとテクノロジーを組み合わせたところに大きなメッセージがありますね。SDGsを達成するためのアレンジをするわけですから。とくにはプロデューサーとして目標達成のための事業を作ることもできる。金融の知識と日本にあるテクノロジーを駆使し、できる限りの人を豊かに暮らせるようにするという、その理念をお伺いして心から賛同しました。

SDGsを知ることは、社会に対する自身の思い込みや狭い価値観に
“気づき”を与えてくれるきっかけにもなる。

片田 小松さんが、SDGsに興味を抱くようになったきっかけは何ですか。

小松 2015年9月に国連サミットで採択され、「国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標」と報じられてから、本を読んだりして情報は得ていたのですが、ある時、私が取材を続けてきた、昭和12年創業の日本理化学工業というチョーク製造の会社が、昭和30年代からSDGsを実践してきたことに気付き、そこからはSDGsは教科書の中のものでなく、とても身近な目標であると知ったんです。同時に、私にとっての大切なテーマになりました。
日本理化学工業の歴史と取り組みは『虹色のチョーク』(幻冬舎刊)という本に書きました。今から10年ほど前、編集者から日本理化学工業のことを書いてみませんか、と依頼があって工場見学に行かせていただいたんです。その会社は、知的障がい者雇用では先駆的な会社で、昭和35年に知的障がい者の女性を2人雇用していました。当時は、知的障がい者の正社員雇用などは前例がなかったそうですが、それでも当時の経営者・大山泰弘さんは、「誰にでも働く幸せはある」という信念のもと、障がいのある方々にチョーク作りを任せ、優れた製造者に育て上げました。現在では、従業員の7割が障がいのある方で、チョークの製造工程のすべては、知的障がい者の方々が担っています。日本理化学工業のチョークは、日本のシェアの7割を占めていますから、日本の学校で使われているチョークのほとんどが、知的障がい者の方々によって作られているんですよ。

片田 いまよりも障がい者に対する偏見や差別が激しい時代から、そのような強い信念を持って事業に取り組み、いまでは社会の一翼を担う企業になっている。本当に素晴らしい会社ですね。知的障がい者の方たちが製造工程のすべてを担えるようになるまでには、環境づくりや教育面でも相当なご苦労があったんじゃないですかね。

小松 取材をする前には、工場の様子を想像することもできなかったのですが、素晴らしい製造ラインが構築されていて、知的障がい者の方は、健常者の助力なしで完璧に仕事をこなしていました。みなさんプロフェッショナルで、仕事にプライドと自信を持って働いているんです。もちろん、そこにたどり着くまでには、幾多の困難があったそうです。現社長の大山隆久さんの父である泰弘さんが、どうすればジョブコーチやマニュアルの必要もなく、障がいがあっても理解できる工場を作り上げることができるのかを考え、働き方を模索して、障がいがあっても理解できる製造工程を作り上げていったんです。材料の混ぜ方やグラム数の測り方などを、赤と青の色の使い分けで分かるようにしたんですね。彼らはそれをすぐに会得して、素晴らしい能力を発揮していきました。やがて、高度な職人の技術を自ら磨き、後輩にも教えるようになり、知的障がいのある方たちだけでミーティングをして、問題点を朝礼で報告するまでになったんです。今ではもう、色の使い分けも全く必要なくなり、チョークを作るスペシャリストとして会社を支えています。

片田 障がい者の方に限らず、仕事を任され自立して働くということは、仕事に対する責任も大きくなるわけですから、その分プロ意識も高まるし、気持ち的にもやりがいを感じることができますよね。同時に社会に貢献しているという自負も出るから日々充実して心も満たされる。これは社会人として、とても幸せなことだと思います。

小松 日本理化学工業の取り組みは、いくつもの目標に当てはまるのですが、特に「8.働きがいも経済成長も(すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク【働きがいのある人間らしい仕事】を推進する)」や、「10.人や国の不平等をなくそう(国内および国家間の格差を是正する)」の項目にぴったりです。
現在も日本理化学工業の取材を続けていますが、日本理化学工業の目標は、知的障がい者雇用に留まりません。デジタル時代を迎えて、チョークの消費がこれからは減って行きますよね。黒板にチョークで書くような授業がなくなったら、彼らはまた生きていく場を失ってしまうんです。なので、大山隆久社長は、絵や文字を自由に描ける「キットパス」の製造販売に力を入れ、さらに農業への着手も模索しています。彼らの未来を切り開くための“働き方”を模索しているんです。

片田 企業の利益、合理化だけを考えずに、彼らとともに企業を成長させて、未来へつないでいこうと模索されている企業姿勢が素晴らしいですよね。健常者も障がい者も隔てなく、有能な戦力として信頼しているからこそ、新たな分野にも思いきって舵を切ることができるのでしょうね。

小松 チョーク作りのプロとなった方々は、日本にとっても大切な労働力であり、国を支える納税者です。何より、みなさん、働くことの喜びに満ちあふれています。日本理化学工業を取材する以前の私は、知的障がい者の方の就労には、健常者の方のサポートが必要不可欠で、簡単な作業を繰り返しているというイメージがありました。そして、知的障がいのある方々は、手厚い福祉で守られるべきだと思っていました。そう思い込んでいたんです。けれど、それは間違っていました。働く幸せが、チョークを作る町工場には満ちていました。取材を進めるうちに分かったことは、健常者、障がい者という意識の壁を取り払うことこそが大切だということ。そうすれば、差別や区別もなくなります。重要なのは、そうした環境を、誰が、どのように作るのか、が重要なのです。片田さんは、まさに環境を絶好のタイミングで作るべき方だと思います。

片田 SDGsという目標が掲げられ、世界中が足並みを揃えて同じベクトルに進む今だからこそ出来ることも多い。私は、テクノロジーの力を駆使することで、今後10年の間に環境やシステムを大きく変え、地球、社会、人の未来をより良い方向へと導くことが可能だと思っています。その中で、SDGs technologyがやるべきこと、果たす役割については、スピード感を持って実行に移し、機を逃さないように心がけて行きたいですね。

小松 『虹色のチョーク』を執筆して以来、障害とか平等の価値観や概念がすっかり変わりました。豊かな日本に住む私たちにも、過去から刷り込まれた意識があって、ものすごく狭い価値観で考えているのではないかという気がしています。
日本理化学工業のように、人が平等であること、誰もが手を携えて働き暮らすことが当たり前であること、を実践している企業の存在を世界に伝えていきたいです。SDGsの目標とターゲットに触れると、自分の考え方や立場が明確になりますし、誤解していたことや気付けなかった狭い思考も認識できます。私自身、そうしてSDGsを自分の中に取り込んでいきました。以後、数々のSDGsとそれに取り組む方々を取材しています。

片田 小松さんは取材を通して、SDGsの現状を肌で感じていらっしゃるし博識なので、お話を伺うだけでも私としては気づきが多く、SDGs technologyとして何をするべきか、そのヒントや別の視点からのご意見もいただけるので本当に心強く思っています。

小松 人に等しくある「働く幸せ」を伝えることの使命感と、ボランティアをする度に感じる小さな閉塞感。そうしたことに向き合っている時に、片田さんをご紹介いただきました。ビジネスの中でSDGsの問題解決に向けて日々活動する片田さんに私が出会ったSDGsに取り組む人々をお引き合わせしたいと思いました。ぜひSDGs×technologyの大きな架け橋になっていただきたいです。

現状を解決する活動への出資だけでなく、
未来を進化させる技術の研究開発への投資も必要。

小松 SDGs technologyは、カンボジアなどで地雷除去をする会社に出資していますね。

片田 地雷除去のロボットを開発している会社なのですが、単に地雷を除去することが目的ではなくて、その跡地を農地にして農業ができるようする計画があって、あとは機械が完成して、いつ始めるかというところまで進んでいます。子供達を死傷させていた場所が、安全になって農業が始められるようになれば、作ったものが売れるし利益にもなる。会社が儲かるとは思っていませんが、夢は膨らみますよね。

小松 まだまだ地雷に苦しめられている地域は多いですし、負の遺産に人生を歪められてしまう人たちが、今この瞬間にも存在します。地雷除去ロボット→農地の開拓→農業のロードマップは素晴らしいですね。私も、日本を再構築するためには農業の改革は必須だと感じています。有機農業に取り組む農家さんや、JAXA発のベンチャー企業と組んで次世代の米作りを実現していく企業、また、豊かな農業の実現にむけて野菜の販路の拡大を進める会社まで、多くの方々を取材しています。片田さんがその取り組みをご覧になれば、よりビジネスのアイデアが思いつかれるかもしれません。
また、国内での活動で言えば、精神障害でなかなか自宅から出ることができない方たちを、ゲームを作るSE(システムエンジニア)として雇用し、社会復帰を促す活動をされていますよね。

片田 大分県での取り組みで、弊社はゲーム開発をしているので、開発しているゲームのデバック(バグ出し)作業をしてもらうことは決まっています。彼らに依頼することで、うちにも経済的メリットがありますから。

小松 精神障害や鬱症状などの方たちは、家に引きこもったり、病院に長期の入院・通院を強いられたりすることもあり、就労が難しいと聞きます。当然、社会との繋がりも希薄になりますよね。そういう方たちが、ゲームのSEという職業を持ち収入を得れば、生活の安定をもたらすだけでなく、やり甲斐を作ることにもなる。片田さんの社会問題を解決しようという思いから生まれた、希望と経済を兼ね備えた見事な取り組みですね。
日本の“引きこもり”は100万人を超え、人口の1%に当たります。高齢の親が、引きこもりの子どもを養っている現状も限界を迎えている。「困ったものだ」と静観しても、現状は変わりません。片田さんのような「どうすれば解決できるのか」という発想と、実業に結びつける行動が必要だと思います。
将来、eスポーツをオリンピック種目に、という声もあがっています。ITに明るく、ゲームが好きな人たちの明るい目標にもなるのではないでしょうか。

片田 リモートで生活を立てることができるということも、いまだからこそ考えることが大事だと思います。

小松 片田さんは今後、SDGsがゴールを迎えるために必要な最先端テクノロジーの研究開発にも、最良のサポートで尽力していきたいとおっしゃっていますね。
日進月歩でたくさんの素晴らしい科学技術が生まれていますが、それを世に出したり、製品化したりするためには資金が必要になります。資金不足が障害となって、開発されたテクノロジーが日の目を見ないケースも多数あるでしょう。SDGs technologyは、そうした企業や研究者たちを支援なさるための会社でもあるのですね。

片田 テクノロジーを進化させ駆使することで可能になるSDGsも多くあると思うんです。テクノロジーの開発現場を助けることができれば、さらにテクノロジーを進化させ、よりたくさんのSDGsを実現できる。私が支援することで、5年かかっていたものが、3年、2年、1年でできるかもしれない。それは世界中にとっても喜ばしいことじゃないですか。

小松 そういう方たちは、ぜひ片田さんに相談をして欲しいですね。私も、SDGsの取材で出会った方々とそこにある技術をお伝えしていきたいです。片田さんは、スタートアップの企業でも、大企業や行政でも、どんな方々にもいつも公平です。だからこそ、マッチングできる事業、技術があるとわくわくしています。

片田 SDGsが何かを変えてくれるわけではなく、その解決のための知恵や技術について考えるテーブルにつかせてくれたのがSDGsなわけです。その目標に向かって行動するうえで、上座や下座があるわけでもなく、同じテーブルについていると思っていますから。
弊社の当初の役割の一つとして、SDGsに落とすいい技術と資本家とのマッチングの架け橋になれればと思っています。いいアイデアはあるけれども、アイデアベースだとベンチャーキャピタル出資とかには至らないので、それを事業計画に落としてあげたり、そこからベンチャーキャピタルを紹介してあげるのも僕らの仕事になります。次第に自分たちが儲かってきたら、SDGsテクノロジーでお金を張っていけばいいかなと。

事業として取り組むことで、SDGsの多くのことを持続して叶えることができる。

小松 日本の経験と卓越した技術が持続可能な開発目標に届くことで、解決不可能と諦めていた人々に希望をもたらすことができますね。私は以前、人類の理想を語ることに気恥ずかしさや小さな罪悪感がありました。自分の力は小さく、そこに尽力できるはずもない、と下を向く自分がいたからです。しかし、SDGsのターゲットを繰り返し読んでいると、「ささやかでも自分にもできることがある」と、考えられるようになりました。さらに、それを小さな行動に移すことで、思いをともにする人たちと出会うことができました。すべては心から始まるのだ、と改めて実感しています。
テクノロジーの進歩で、問題解決のために名乗りをあげる企業が増えています。CSR(Corporation Social Responsibility:企業の社会的責任)という領域を越えて、企業の成長・発展にも繫がるスキームが実現しつつある。片田さんが立ち上げたSDGs technologyは、その先頭に立ち、令和時代だからこそできるプロデュースやアレンジを実現していただきたいです。

片田 個人のボランティアでは限界があることも、会社ならば資本もあるし、収益を得るために長期的なスキームで取り組むことができる。頓挫せず目標を最後まで達成させるためにも、事業として取り組むことに意味があると思います。

小松 17の目標169のターゲットの中で、片田さんが関心を寄せている分野はあるのですか。

片田 テーマやターゲットは絞らずに、現実に則しながら、事業として収益も得られ、サポートを必要とする方達も幸せになることに注力して行きたいと思っています。

小松 世界に脅威をもたらした新型コロナウイルス感染拡大は、様々な問題を浮き彫りにしました。私が衝撃を受けたのは、この飽食の日本にあって、飢えに苦しむ子どもたちが多数いたことです。コロナ禍に各地の社会活動として報道された「子ども食堂」。満足な食事をとれないという状況が、ここまで広くあったことを正しく理解していませんでした。子どもでも、大人でも、どのような生活環境にあっても、差異なく十分な食事を取れる社会でなければならない。SDGsの1番目と2番目にあげられている「1.貧困をなくそう(あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ)」「2.飢餓をゼロ(飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する)」からは、自分のこととして目を背けてはならないと考えました。
日本では、膨大な量の食べ物がスーパーやレストラン、家庭からも捨てられています。このフードロスの構図をどうすれば改善できるのか、スーパーマーケット業界や外食産業の方々は叡智を結集して取り組んでいます。そうした取材も、新型コロナウイルス感染という機会があって開始しました。

SDGsの活動と同時に、SDGsの概念を次世代に継承してくことが大切。

片田 学校でもSDGsの教育に取り組むところが増えてきていますが、まだSDGsの理解として、プラスチックごみの削減とか、二酸化炭素の排出量を減らそうとか、環境汚染、地球温暖化などの話で帰結している部分がある。その理解は正しいけれど、それだけではないことを、次世代を生きていく人たちに伝えていかないと、SDGsもなかなか世の中に広まっていかないですよね。

小松 おっしゃる通りですね。全部人間が生み出した問題で、すべては繫がっている。脱炭素社会は、気候変動を抑えるためにだけ目指すのではなく、地球本来の姿への回帰の一歩でしょう。ジェンダー(歴史的、文化的、社会的に形成された男女の性差)の平等は、成熟した社会だからこそ実現できる価値観であり、機が熟したと感じられます。
大仰に目的・目標を掲げるだけでなく、やはり、自分にできることは何なのか、と、静かに向き合うことが大切だと思います。誰もが、ニュースを見たり、新聞や本を読んだりして、こんな悲惨なことが世界では起きているんだなと考え、子どもや女性や高齢者、医療従事者のためにできることはないかな、と思いを巡らせるはずです。心に留め置かれたもの、関心を持てるものからテーマを探し、行動に移す。そのためには、他者に尽力できるコミュニティ・システムを作っていくことも大切ですね。SDGsに取り組みたい方たちが集まるコミュニティを、SDGs technologyがサポートできたら素敵です。

片田 小松さんには弊社のアドバイザーに就任していただきまして、今後事業のあらゆる面でご相談させていただいたり、ご協力いただければと思っていますが、本業の作家として、SDGsというものを捉えた時に、大切にしたいこと、思うことはありますか。

小松 私自身は作家なので、そこにある事象だけでなく、その背後にある“ストーリー”を伝えていきたいです。私自身も本を読んで様々なことを学びました。人が、最も人に心を寄せられる瞬間は、胸を打つストーリーに触れた時だと思うんです。
日本理化学工業の取材の際に、自閉症の症状がある社員のお母さんにインタビューしたのですが、その方は私にこう言いました。「小松さん、私は息子を授かってからずっと、この子を残して死ねるのか、と思ってきました。けれど、日本理化学工業に就職して、社長さんから『うちのエースです』と言っていただいて、ああ、大丈夫だと思えました。私はこの子を残して死ねます。この子を社会が守ってくれると信じられます。この子と一緒に死のうと思っていた時が過去のものとなりました」と。そのお母さんの涙と、胸にあった日々の物語を知ることが、私を強く突き動かしました。
国内外でSDGsを取材し、こうしたたくさんのストーリーを聞いています。人々のドラマ以上に、心を揺さぶられるものはありません。人々が織り成すストーリーを伝えることで、読者となる市民の方たちの理解も深まるでしょう。
日本に住んでいると、平和な日々が当たり前のように思いがちですよね。でも世界の各地には未だに紛争地帯があって、民族の対立やジェノサイド(種族、民族の集団殺戮)が起きている現実もある。自分の人生を懸命に歩みながら、そうした事を忘れることなく、どうしたら平和な社会を築けるだろう、安心して暮らせる環境をみんなが共有する方法はないのだろうかと、イマジネーションを広げて欲しい。それには、自分が知らないことを学ぶことが大切です。学校だけでは学べないことがあるのならば、それを本や講演にして届けたい。不可能という語彙に怯まない、想像力を持つ若い世代の手助けがしたいと思います。

片田 とても素敵なことだし、大切なことだと思います。今の時代、テクノロジーも常に進化していて、想像力を持てる人たちはそれをカタチにして行動ができるし、遠く離れた地ともタイムリーに繋がることができますからね。私も娘の将来のことからSDGsというものを考え始めましたけれども、他国のこと、他者のことだと目を閉じずに、視野を広げてイマジネーションを持てる子供や若者を作ることが、これからの真の持続可能な社会づくりにつながって行くのかもしれないですね。


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